第二十三話「Broken Tape-Recorder」

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「……ぴこ?」

ぼんやりとした気持ちで目が覚めた。何か夢を見ていたような気がしないでもないけど、それは僕が思い出す間もなく、記憶から跡形もなく消えていく。毎朝感じる、ちょっとだけもどかしい感覚だ。

「……う〜ん……」

「ぴこぴこ」

僕の隣では、佳乃ちゃんが寝返りを打っていた。意識はまだ眠りの中にあるみたいで、僕が起き出したことにはまったく気付いていないみたいだ。澄み切った青色――それは僕に、大好きな海や空を思い起こさせた――をした髪の毛が、寝汗に濡れて輝いて見える。

やっぱり、女の子みたいだった。

「……………………」

「……………………」

僕は佳乃ちゃんの隣で丸くなって、佳乃ちゃんが起き出すのを待つことにした。時計を見ると……少なくとも、まだ学校に行く時間じゃない。もう少し寝ていても、大丈夫だろう。僕もまだ、はっきり目が覚めたわけじゃない。隣でごろんとしていた方が、気が楽だ。

「……………………」

そのまましばらく、沈黙が続く……

……僕は、そう思っていたのだけれど。

 

「……ちよ……やく……」

 

隣から、絞り出すような声が聞こえた。

「……ちへ……いで……」

「……………………」

声の主は、僕の主だった。

「……さあ……く……い……しゃ…」

「……………………」

眠りの中で絞り出した声は、風邪を引いたときのようにかすれていて、所々息が弱くなって途切れ途切れになっていた。のびのびになったテープを、外に放り出されて泥だらけになったテープレコーダーで無理矢理再生した時のような、言葉にしづらい居心地の悪さを感じさせた。

僕が隣で息を潜めている間にも、佳乃ちゃんの繰り言は続く。

「……うした……ないの……?」

「……………………」

声色に、かすかな疑問と悲しみが加わり始めた。僕は佳乃ちゃんの声を聞きながら、佳乃ちゃんは一体どんな夢を見ているのだろうかと心に思った。少なくとも……それが、楽しい夢ではないことは分かるけれど。

「……なたを……かえに……あ……な……」

佳乃ちゃんの腕が、ゆっくりと……「空」へと伸びた。宙を掴もうと伸ばした、その腕は……

「……………………」

……黄金色のバンダナが巻きついた、右腕だった。

 

「……う〜ん……」

「ぴこぴこ」

寝言は、突如として途切れた。次に聞こえてきたのは、僕の聞きなれた、佳乃ちゃんのちょっと間の抜けた声色だった。

「……うにゅぅ〜……あ、ポテトぉ……おはようございますだよぉ……」

「ぴこぴこっ」

佳乃ちゃんは半目を開けて、いつもにも増して間延びした口調で、僕におはようの挨拶をしてくれた。佳乃ちゃんが目をごしごしこすりながら、静かに体を起こした。

「ポテトは早起きさんだねぇ」

「ぴっこり」

「うんうん。ぼくも今度からもうちょっと早く起きるねぇ」

目をこすって意識をはっきりさせた佳乃ちゃんが、声の間延び度合いをいつもと同じぐらいにまで戻して、僕の体を撫でてくれた。起きたてで力の入っていない手の感触が、とっても気持ちよかった。

「やっぱりポテトは気持ちいいよぉ」

「ぴっこぴこ」

「ぼくとずっと一緒にいてねぇ」

「ぴっこり」

僕はできるだけ大きく頷いて、佳乃ちゃんの気持ちに応えた。佳乃ちゃんはうれしそうな笑顔を浮かべて、僕の頭をわしゃわしゃと撫で回した。

ひとしきり朝のふれ合い(こういうことは毎朝やっているのだ)を終えると、佳乃ちゃんが薄い毛布を払って、ベッドからぴょんと降りた。

「それじゃあポテト、下に行ってお姉ちゃんにおはようを言いに行こうねぇ」

「ぴこっ」

僕は佳乃ちゃんに抱かれて、佳乃ちゃんの部屋を出た。

 

「おはようございまぁす!」

「おはよう佳乃。昨日はよく眠れたか?」

「ばっちりだよぉ。お星さまを見たおかげかなぁ」

「ふふふ。次は私も参加したいところだな」

下へ降りると、聖さんはもうすでに活動を開始していた。いつもの白衣を着て、朝食の支度を着々と整えていく。

「……………………」

時計を見てみると、まだ六時半にもなっていない。率直に言って、かなり早い時間だ。

「もうすぐ支度ができるから、食器を並べておいてくれ」

「了承ぉ!」

一体この人は何時から活動を開始しているんだろう。六時にはもうこれだけの準備を済ませているのだから、少なくとも、五時ぐらいには目が覚めているはずだ。朝の五時……昨日はそれより少し遅いぐらいに起きたけれど、僕にはまだまだ実感の湧かない時間帯だった。

「ああそうだ佳乃。ついでに、向日葵の水やりもすませて来てくれないか?」

「追加で了承ぉ!」

佳乃ちゃんはぱたぱた走って食卓に行き、瞬く間にすべての食器を並べてしまうと、そのままの勢いで外へと飛び出した。

「水やり部隊、しゅっつどぉ〜!」

外から、すさまじく元気な声が聞こえてきた。近所の人が聞いたら、みんなまとめて起きだしてきそうな、でっかい声だった。

「ふふっ。やはり、佳乃はああした元気な姿が一番似合うな」

僕は聖さんの言葉に、心から同意した。

佳乃ちゃんには、いつまでも元気な姿を見せてもらいたかった。

「私にもあんな時代があったものだったな……」

それは、あんまり想像できなかった。

 

「ごちそうさまでしたぁ!」

「お粗末様。佳乃、今日は飼育当番の日だったな?」

「そうだよぉ。ピョンタもモコモコもお腹を空かせちゃってるから、早く行ってあげないとねぇ」

佳乃ちゃんは朝ごはんを綺麗に平らげると、冷たい麦茶をごくごくと一気に飲み干した。聖さんは新聞を読みながら、ゆっくり朝食を取っている。

「もう行くのか?」

「うん。善は急げだからねぇ」

佳乃ちゃんは空になったコップをことんと置くと、すっくと立ち上がって体を伸ばした。もう出かけるみたいだ。僕も準備をしなきゃね。

「そうか。行く時はくれぐれも気をつけて行くんだぞ。最近、女の子を狙った悪質な犯罪が増えてきているらしいからな」

「むむむーっ! お姉ちゃぁん! ぼくはちゃんとした男の子だよぉ!」

「いや、佳乃はそこいらの女の子よりもずっと可愛らしいぞ。何なら、私のお下がりの服を着てみるといい。絶対に似合うはずだからな。私が保証する」

「えーっ?! そんなの着ちゃったら、ぼく余計に女の子に見えちゃうよぉ……」

佳乃ちゃんは困ったような怒ったような表情を浮かべて、食卓を後にした。聖さんは佳乃ちゃんを見送ってから、再び新聞へと視線を戻した。朝からお互いに冗談を言い合う、楽しい関係なんだなあと、ぼくは思った。

「……しかし」

「ぴこ?」

「ほんの一度で構わないから、実際に女物の服に袖を通した佳乃の姿を見てみたいものだな……」

僕の予想に大幅に反し、聖さんはどうやら本気(マジ)みたいだった。

 

「それじゃあ、行ってきまぁす!」

「ああ。あまり遅くならないようにな」

佳乃ちゃんは聖さんといつもの挨拶を交わして、元気よく診療所の外へ出た。

「うわぁ、今日もあっついよぉ」

「ぴっこり」

外は相変わらずの暑さで、佳乃ちゃんは思わず目を半分ぐらいつむった。それでも、その表情は明るかった。純粋に、この夏と言う季節を楽しんでいるみたいだった。

「お日さまさんさんだねぇ」

「ぴこぴこっ」

「うんうん。やっぱり、夏はこうじゃなきゃねぇ」

それは僕に、夏の強い日差しを全身に受けてたくましく育つ、大輪の花を咲かせた向日葵を思わせた。そう言えば佳乃ちゃんと聖さんも、診療所の裏手で向日葵を育てていたっけ。

「それじゃあポテト、学校に向かってでっぱつしんこう〜」

「ぴこぴこ〜」

太陽に向かって腕を大きく振り上げた佳乃ちゃんに合わせて、僕も後ろについて歩き始めた。

 

「とうつき〜」

「ぴっこー」

学校まではあっという間だった。佳乃ちゃんの元気なペースに合わせて歩いていたら、そこはもう学校だった。ひょっとすると、佳乃ちゃんに合わせて早足で歩いているうちに、僕の足も早くなっちゃったのかも知れない。

「それじゃあ早速、任務開始だよぉ。深く静かに潜行するんだよぉ」

「ぴこっ」

僕は佳乃ちゃんと一緒に校門をくぐって、学校の中へ入った。

そのままフェンス沿いに歩いて、二日前にも来た、飼育用の小さな小屋の前までやってきた。グラウンドでは朝から運動部の子達が、暑い中懸命に体を動かしている。

「大丈夫かなぁ?」

佳乃ちゃんが小屋の中を覗き込んで、ピョンタとモコモコの様子を確認する。

「うんうん。みんな元気だねぇ。それじゃあみんな、今からご飯を用意するからねぇ。もうちょっとの辛抱だよぉ」

こくこくと頷いて全員に問題が無いことを確認すると、佳乃ちゃんがいそいそと準備を始めた。僕はその間近くの木陰に入って、佳乃ちゃんがすべての作業を終えるのを待つことにした。

「わっ、モコモコっ、足に触っちゃだめだよぉっ」

「ひぇっ、くすぐったいよぉ」

賑やかに声を上げながら、佳乃ちゃんはお仕事を済ませた。

 

「ふぅ〜。今日は大変だったよぉ。ピョンタもモコモコも元気いっぱいだねぇ。よかったよかった」

「ぴっこり」

汗をびっしょりかいて、佳乃ちゃんが小屋の中から出てきた。お仕事はこれでおしまいみたいだ。

「それじゃあポテト、お家に帰ろうねぇ」

「ぴこぴこっ」

僕は頷いて、佳乃ちゃんの後について歩き出そうとした……

ちょうど、その時だった。

僕を覆うようにして、大きな影が現れた。

……それも、二つほど。

 

 

「いぬーいぬー」

「こら名雪っ、どこへ行くんだっ」

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

Thanks for reading.

Written by 586