――放課後。
「姉貴っ! 今日掃除当番か?」
「ううん、違うよ。あさひちゃん、どうする?」
黒いランドセルを肩から提げたあさひが、ともえの教室に顔を覗かせた。ともえは帰る支度をしながら、ドア越しに覗き込むあさひの応対をする。
「そうだな……俺は、まっすぐアトリエに行くつもりだぜ」
「うんっ。わたしも同じことを考えてたよ。じゃ、みんとちゃんにも聞いてくるね」
「おう、頼んだぜ!」
ともえは赤いランドセルにロックを掛けるとひょいと背負い上げ、同じく帰宅の準備をしていたみんとの元へと駆け寄った。
「みんとちゃんっ!」
「……姉上」
みんとが一旦手を止めて、駆けてきたともえに目を向けた。
「みんとちゃん、今日はアトリエに行く?」
「……ごめんなさい。行きたいのは、行きたいけれども……」
行きたいのは行きたいが――この後に続くのは、「行くことができない」しか考えられまい。みんとは何か別の都合で、アトリエへ出向くことができないようだ。
「何か、用事があるのかな?」
「……今日は、薙刀の稽古があるから、それで……」
「なるほど、習い事だったんだね……それなら、仕方ないね。あさひちゃんとリアンさんには、わたしが伝えておくね」
「……ごめんなさい、姉上」
「いいのいいのっ。無理しないで、行ける時に行けばいいからね。薙刀のお稽古、頑張ってねっ」
「……分かった。力を尽くしてくる」
「うんっ。じゃ、わたし先に行くね」
申し訳なさそうに言うみんとを陽気に励まし、ともえがみんとから託を受けた。家で通っている習い事があるなら、それを優先するのは当然の道理だ。ともえはみんとが来られないことは少々残念だったものの、みんとの立場と気持ちを慮り、あえてそのことは口にしなかった。
「おう、姉貴。どうだった?」
「みんとちゃん、今日は薙刀のお稽古があるんだって。来られないみたいだよ」
「習い事か……そいつは、仕方ねえな。ま、無理するもんでもねえし、姉貴なら俺達に後れを取ることはねえな」
「そうだよね。じゃ、あさひちゃん、行こっか」
「おうよ!」
ともえとあさひは連れ立ち、教室から出て行った。
――アトリエ・セルリアン。
「リアンさーんっ! いますかー?」
平時のようにともえがドア越しに声を張り上げるが、応答が無い。
「……どうしたのかな?」
「ひょっとして、まだ帰ってきてないのかもな……」
「うーん……その可能性はあるね。土日じゃ片付かなかったかもしれないし」
「そうだよな。あの話し振りだと、相当まずい雰囲気だったみてえだしよ」
「陥落とか身の安全とか、ちょっと怖かったよね……」
「ああ……俺も、あれには少し身が縮む思いだったぜ」
金曜日の物騒な会話が、二人の中でまだ尾を引いているようだった。確かに、平和な日和田市でずっと暮らしているともえとあさひにとっては、陥落だの身の安全だのの言葉は、あまりに刺激が強すぎたのかもしれない。
「そうなると、ルルティも戻ってないのか?」
「一緒に行くみたいだったから、リアンさんが戻ってないなら、ルルティさんも一緒だと思うよ」
「帰ってきてるわよ。私も、リアンもね」
「ルルティさん! 帰ってたんですね!」
横からひょっこり顔を覗かせたのは、ネコミミフードの銀髪少女、もといルルティであった。リアンも帰宅しているらしい。
「それならいいんだけどよ、返事が無いのはどうしたんだ?」
「単純に、疲れてるのよ。土日があんまり忙しかったから、中で休んでるわ。鍵は空いてるから、入ってちょうだい」
「はいっ」
ともえがドアを開けて、アトリエへ進入する。アトリエの中は、金曜日までと特に変わったところは無かった。
「リアンさんっ!」
「ん……? お〜、ともえちゃんにあさひちゃん……」
二人が中に入ってみると、リアンがソファでぐでーっと伸びていた。ぼさぼさになったままの髪を見る限り、よほど疲れているようだ。もそもそのそのそごそごそと動いてから、のっそりと起き上がる。
「大丈夫ですか? すごく疲れてるみたいですけど……」
「おいおい、ぐったりしすぎだろ……リアン、大丈夫か?」
「いや〜……ね、大丈夫なんだけど、やっぱり疲労が溜まっててね……」
寝ぼけ眼でぼさぼさ髪をくしゃくしゃ弄りつつ、リアンがソファに腰掛けた。いやはや、よほど大変だったようだ。
「ご飯、ちゃんと食べてますか?」
「いや、昨日のお昼にインスタントのラーメンを食べたきり……あー、空腹もあるわね、これは……」
「食欲があるなら、わたしが何かつくりますよ」
「んー……ホント申し訳ないんだけど、お願いしちゃってもいいかしらね……」
言葉どおり申し訳なさそうな表情を見せつつ、リアンがともえにお願いした。今回ばかりは、ルルティも突っ込まないようだ。土日に何があったのかは分からないが、食事を忘れるほど疲労していたとは、相当なものらしい。
「任せてくださいっ! リアンさんが元気になれるように、おいしいものを作ってきますっ」
「姉貴……さすがだぜっ! 俺にも手伝えることがあったら言ってくれ! 料理はそれなりにできるからよ!」
「ありがとう、あさひちゃん! それじゃ……」
ともえがキッチンへ向かおうと振り返った時に、ポケットからひらりと何かが零れ落ちる。
「ん……? なんだこれ……?」
見つけたのはあさひだった。ともえが落とした緑色の紙切れを拾い上げ、表面に書かれている文言を読み上げる。
「『抱きしめ権利券』……なあ姉貴、この紙、姉貴のか?」
「え……? あっ、ごめんごめん。落としちゃったみたいだね」
「おう、それはいいんだけどよ……一体、誰を抱きしめる権利なんだ?」
「ルルティさん。一枚ごとに一回抱きしめてられる権利が与えられる券だよ」
「送り主は本人か?」
「そうそう。すっごく気持ちいいんだよ。一枚あげるから、あさひちゃんも使ってみたらどうかな?」
あさひに拾ってもらった四枚綴りの「抱きしめ権利券」を一枚点線に沿って切り離し、ともえがあさひに贈呈する。あさひはそれを受け取ると、しげしげと眺め回した。
「ルルティを抱きしめられる権利、か……ルルティ、早速使わせてもらってもいいか?」
「構わないけど、乱暴にしちゃだめよ」
「心配すんなって。ま、心配になる気持ちも分かるがよ」
ルルティに券を手渡し、あさひが床にランドセルを下ろす。そのままルルティに歩み寄ると、一対一で向かい合う形を作った。
「よし、それじゃ、行くぜ」
「ええ。いつでもいいわ」
一声掛けてから、あさひがルルティをそっと抱きしめる。
「……………………」
「……………………」
柔らかく目を閉じ、あさひが優しい笑みを添えて白猫少女を抱く。強く抱きしめるわけではなく、あくまで柔和な印象。抱かれているルルティも目を閉じ、あさひにそっと身を任せている。
「……………………」
「……………………」
意外なのは、ルルティの表情だ。ともえに抱きしめられた時と同じくらい、気持ちよさそうな表情を浮かべて見せている。
「……よし、こんなもんか」
「……………………」
あさひがそっとルルティから離れると、ルルティがそれに合わせて目を開いた。
「……驚いたわ。こんなに、優しく抱きしめられるなんて……」
「へへっ、こう見えても、俺も一応女だからよ」
「なんていうか……実際に経験したわけじゃないけど、母親に抱きしめられているような、そんな気持ちになったわね」
「そいつは、光栄だぜ」
ルルティにはあさひの抱きしめが相当ポイント高かったようだ。ポケットに手を差し込み、ごそごそと何かを取り出す。
「いいわ。アナタにもこれをあげる」
「権利券の追加か……俺はもらえるものは病気以外もらう主義だから、いただいておくとするか」
自分から権利券を渡すということは、相当気持ちよかったに違いない。あさひは快い表情で権利券を受け取ると、丁寧に折りたたんでランドセルの中へしまった。
「さあ! 今日も元気よく魔法の練習と行くわよ!」
「リアンさん、すっかり元気になりましたね!」
「姉貴の手料理、よほど威力があったみてえだな……さっきとは大違いだぜ」
ともえの作った煮込みうどんと目玉焼きを平らげるや否や、リアンはあっという間にいつものテンションを取り戻し、きびきび動くようになった。分かりやすい人である。既に変身を終えたともえとあさひが、元気になったリアンをにこにこしながら見つめている。
「……おっと、忘れてたわ。みんとちゃん、今日はお休みかしら?」
「ああ。薙刀の稽古があって、そっちに行くって聞いたぜ」
「ほほー、みんとちゃん、薙刀なんて習ってるんだ。うむ。よく似合いそうね」
凛とした姿勢のみんとが、薙刀の柄の部分を地面に突き立てて堂々と立っている――非常によく似合う、想像に難くない光景だと言えた。
「んじゃ、今日はちょいと趣向を変えて、マジックリアクターの機能について勉強しましょっか」
「変身と透明化と、あと時計以外にも、何か機能があるんですか?」
「あるのよね、これが。結構たくさんあるんだけど、今日はその中でも分かりやすいのを使ってみるわね」
リアンは二人がリアクターを装備していることを確認したうえで、自分もリアクターを取り出し、説明を始めた。
「今回使うのは、この青い宝石! まずは、これにタッチしてみてちょうだい」
「これですね。はい!」
「俺も押したぜ!」
二人が宝石にタッチする。その直後、宝石から青い光がまっすぐ伸びるのが見えた。
「宝石から、光が……」
「なんだ? レーザー光線機能とかか?」
「見た目はそれっぽいけど、ちょっと違うわね。じゃあ続けて、その光を相手に向けてみてちょうだい。ともえちゃんはあさひちゃん、あさひちゃんはともえちゃんに、ね」
「分かりました! あさひちゃん、行くよっ」
「了解っ!」
ともえがあさひに、対するあさひはともえに、青い光をまっすぐ向ける。お互いに光を向けられたものの、やはりこれといった変化は生じない。いつも通りの二人のままだ。
「……うむ、これくらいで十分ね。二人とも、腕を下ろしていいわ」
「リアン。光を当てたのはいいけどよ、一体何が起こるんだ?」
「ふふふっ。これはあくまで準備よ。本題はここから! さっき光を当てた人を強く思い浮かべながら、もう一度、宝石にタッチしてちょうだい」
リアンに言われるまま、ともえとあさひがマジックリアクターの青い宝石にタッチする。すると……。
「わっ……!」
「な、なんだ……?!」
二人の躰が青い光に包まれ、魔女見習いに変身する時のように、徐々にその形を失う。
「こ、これって……もしかして……!」
「なるほど……そういうことか……!」
光に包まれた二人が、確信の意を込めて呟く。光が徐々にリアクターへ収束していくと同時に、青いヴェールに覆われていたともえとあさひの姿が、再び露になった――。
――だが。
「わ……! わたしが目の前にっ!」
「そういう姉貴は……俺かよっ!」
光に包まれる前と後で、二人の位置が入れ替わっていた――のではない。入れ替わっていたのは、二人の位置ではなく、「姿」だったのである。
「マジックリアクターの秘密第二段! 名づけて変身機能!」
「あまり名づけてる気はしねえが、機能は分かったぜ!」
「あんまり名づけてる気はしませんけど、すごい機能ですね!」
二人して突っ込まなくてもええやんと思う今日この頃。
「説明するわね。マジックリアクターの青い宝石の部分。これにタッチすると、あらかじめ登録した人に変身することができるの」
「最初に当てた光は、変身したい人を登録するためだったんですね」
「そうそう。携帯電話の赤外線通信みたいなものね。青色だけど。人に当てると自動的に身体的特徴をインプットして、データベースに記録してくれるのよ」
最初に光を当てて情報を取得しておくことで、任意のタイミングでの変身を可能にしているという。
「光は人間も魔女も、その他の生物も登録できるわ。何故かって? そりゃあもちろん、あらかじめクラスをきちんと設計して、汎化と特化を都度やってるからよ。工場式パターンをガチガチに使ってるから、ユーザは『登録済みのこの人になりたい』って指定するだけで、その人に変身するために必要なプロセスを内部で全部受け持ってくれるわけ。魔法は使用者の体組織の可逆的再構築は許可されてるから、元のデータのスナップショットをコピーして、その上で一旦データを洗い替えると。んで、データベースに登録済みのキーからイメージを取得して、そのイメージを展開して新しい対組織を構築する。一連の処理をきっちり1トランザクションで処理して、使用者に問題が発生した場合は即座にロールバック。これで安全に変身できるってわけ!」
「例によってほとんど分かりませんけど、やっぱりすごいですね!」
「相変わらずすごいのはいいんだけどよ、何言ってるのかさっぱり分かんねえんだよな」
リアンの実装をしゃべりたがる癖はなかなか根深いようである。
「わぁ……自分が目の前にいるのって、すごく不思議な気持ちです!」
「俺も、なんかくすぐったいな……他人から見ると、こういう風に見えてるのか」
女の子口調で話すあさひ(※ともえ)と、男の子口調で話すともえ(※あさひ)。口調が対照的なだけに、それが入れ替わると不思議な感じがする。
「……こほん! 俺は厳島あさひ! よろしく頼むぜっ!」
「おお、姉貴っ、なんかそれっぽいぜ!」
「えへへっ。一度、こういう風にしてみたかったんだよ〜」
ともえがあさひの口調を真似てみる。少しぎこちないものの、意外と良い線を行っている。ともえは変わったことに興味を持つようだ。
「ああ……凛々しい口調のともえちゃんもええわ……」
「ちなみに、その場合の対象は俺なんだよな……」
「ああ……このギャップがたまらんわ……」
これはもうダメかも分からんね。どうしよう、この人。
「ああ……可愛い口調のあさひちゃんもええわ……」
「リアンさん、すごく嬉しそうな顔してますね」
「ああ……やっぱりギャップがたまらんわ……世の中はギャップ萌えやで、ホンマに……」
「ルルティも大変だな、いろいろな意味で」
「お気遣い感謝するわ。本心からね」
生ゴミ扱いしたくなる気持ちも分かるってえもんである。うむ。
「よしっ! リアンさん、当ててみてもいいですか?」
「どーんと来なさい、どーんと!」
「ルルティ、当てても構わないか?」
「いいわよ。でも、悪用は禁止よ」
――そして、ひとしきり変身機能を試した後のこと。
「戻る時は、戻りたいと思いながら同じボタンを押す……ですよねっ」
「その通り! まあ、変身は魔法に依存してるから、魔女見習いから元に戻るだけでも自動的に解除されるわ」
元の姿――魔女見習いの変身も解いている――に戻った二人が、リアンの側で講釈に耳を傾ける。変身については、あらかじめ魔女見習いになっていることが使用の前提条件のようだ。
「さて、ここらでお茶にしましょうか。すぐ準備するから、ちょっと待っててちょうだいね」
「はーいっ!」
「分かったぜ!」
上機嫌でキッチンへと向かうリアンの背中を見つめながら、ともえとあさひが話をする。
「リアンさんの魔法の話、いつもすごく難しいけど……でも、なんとなく言おうとしてることは分かるんだよね」
「細かい用語とかはさっぱりだけど、こう……流れというか、そういうのは伝わって来るんだよな」
「わたし、思ったんだけど、やっぱり魔法も『何でもかんでもすぐにできる』ってことじゃなくて、順番が重要なんだよね、きっと」
「姉貴の言うとおりだぜ。少しずつ手順を踏んでいかなきゃ、足を踏み外しちまう。そういうことなんだよな」
リアンの小難しい魔法の実装の話。内容の詳細についてはちんぷんかんぷんだが、それもで、リアンが細かい手順を丁寧に一つずつ踏んで、複雑な魔法を作り上げているということは理解できた。
「いつかリアンさんみたいに、すごい魔法を考えられるようになるといいねっ」
「ああ! そのためにも、日々の練習は欠かせねえな」
真面目なことだ。この健全な向上心さえ欠かさなければ、二人が立派な魔女になれる日もそう遠くはあるまい。
「木いちごって何かこう不名誉なイメージがあるんだけど、お茶にするとまた良い味を出してくれるのよ」
「甘酸っぱいというか……飲んでて飽きない味ですねっ」
「合わせるのがアーモンドの風味が利いたクッキーってのが、味わい深い選択だな、リアン」
アーモンドクッキーと木いちごティー。本日のお茶会のレシピは以上である。リアンはフレーバーティーが好みのようで、様々な風味や味わいを試しているという。
「ん〜。愛弟子たちと一緒に、熱いお茶とできたてのクッキーを囲む。あたしにとって、これ以上に幸せなことは無いわねぇ……」
「ホント、アナタはこっちにいるときの方が楽しそうね」
「まあ、ね。本当の意味で、好きなように生きていけるもの」
木いちごティーを上品に啜り、リアンが小さく頷く。文字通りの至福の表情であった。
「あの、リアンさん」
「ん? ともえちゃん、どうしたの?」
「えっと……土曜日と日曜日に、一体何があったんですか?」
「そうだな。俺も、リアンとルルティが土日に何をしてたのか、気になってたんだ」
二人の弟子からの問いかけを受けて、リアンが少々物憂げな表情を見せた。
「そうね……あれだけ物騒なことを言っちゃったから、やっぱり気になるわよね」
「はい。それで、ちょっと心配になって……」
「ありがとね、ともえちゃん。あさひちゃんも。いいわ。何があったか、かいつまんで話をするわね」
リアンはソーサーにティーカップをかたんと置いて、土日に起きた出来事について話し始めた。
「どこから話すべきか、だけど……話すとすれば、あの時何が起きてたか、ってところからかしらね」
「陥落とか、身の安全とか……その辺りのことですね」
「そうね。電話を掛けてきたのは、あたしの大学の時の後輩で、『ナギオス』……本名はあたしと似たような形で『マジョナギオス』だけど、ここは『ナギオス』で統一するわ。その子から、電話が掛かってきたわけよ」
ナギオス、という名前は、リアンも携帯電話をとったときに口にしていた。大学の後輩とのことである。
「ちらっと言ったけど、あたしの家があるところって、実はごたごたがすごく多いのよ」
「聞いてると、単に言い争いとか小競り合いが多い、ってレベルで済まされるもんでもなさそうだな」
「その通り。領土というか、場所の取り合いが激しくて、落ち着いて何かができる環境じゃなくなっちゃったのよ」
「リアンさんがこっちに来たのは、それも理由ですか?」
「鋭いわね、正解よ。日和田があんまり静かで良いところだから、少し移住させてもらうことにしたのよ。きっちり手続きも踏んでね」
創作活動を生業にするリアンにしてみれば、周囲が騒がしいのはさぞかしストレスが溜まる環境に違いない。
「で、ナギオスはちょっと遊びに出てたんだけど、そこでまたごたごたが起きたのよ」
「それで、リアンさんに助けを求めて……」
「うむ。帰ろうにも帰れなくなってにっちもさっちも行かなくなってたところで、あたしとルルティが出たってわけ」
「私とリアンで安全な道を探して散々大回りして、確実に帰れるってところまで来た段階で別れた、って形よ」
「言葉にすると手短だけど、これがもう大変で大変で……」
腕をぐるりと回し、リアンが肩の凝りをほぐす。やはり、まだ完全には疲れが取れていないようだった。
「あたしの住んでる地域の近くには、胡散臭い新興宗教があったりして、また話をややこしくしてるのよ」
「新興宗教……こう、変なことを信じてるとか、そういう感じですか?」
「そうそう。細かいことは省くけど、とにかく面倒ばかり起こしてくれるから、ほとほと困ってるってわけ」
「何を信じようと人の自由だが、他人に迷惑をかける教義は勘弁願いてえところだ」
「まったく、あさひちゃんの言うとおりだわ。やり口も巧妙で、子供ばかりを勧誘してるみたい」
「子供を勧誘して……それで、こっちが抵抗できないようにしてるんでしょうか」
「正解よ。こっちとしては、子供を前面に出されちゃ、追い払おうにも追い払えないから、ね……」
ろくでもない集団が闊歩している様子がありありと浮かぶ。このほかにも面倒な連中が多数うろつき、その中を縫って後輩を自宅付近まで送り届けたというのだから、疲労困憊していたリアンの気持ちも分かろうものである。
「ま、魔女界のことだから、あんまり気にしないでちょうだい。多分、ともえちゃんやあさひちゃん達が行く機会は無いでしょうし」
「分かりました。リアンさんも、向こうに行く時は気をつけてください」
「最近は、こっちもこっちで物騒だがよ……お互い様、ってとこなのかもな」
短慮で粗暴に見られがちなあさひだが、一連の会話から推測できる通り、飲み込みの速さと理解力の高さはともえにも引けを取らないものがある。幼少のころから、母親の代わりに厳島家を支えてきた賜物に違いない。
「……さて! この話はこれくらいにして、そろそろ練習するとしますか!」
「はいっ!」
「おうよ!」
空いた皿とティーカップをその場から消し去り、リアンと見習い二人が立ち上がった。
「リアンさん! 今日もありがとうございましたっ」
「いやいや、二人が来てくれて、あたしも疲れが吹っ飛んだわ」
「木いちご茶、なかなか良い味出してたぜ! また飲ませてくれよな!」
「任せなさいって! 他にもいろいろ用意しとくから、楽しみにしててちょうだいね」
二人は荷物を持ってアトリエを出ると、そのドアが静かに閉じられるのを見届けた。
「……ふぅ。あさひちゃん、今日も楽しかったね!」
「ああ! アトリエに来始めてから、俺も生活に張り合いが出てきた気がするぜ」
アトリエでリアンや仲間と一緒に魔法の勉強をして、クッキーや紅茶でティータイムをする。これだけのささやかなイベントなのだが、二人にとっては楽しい時間を過ごせているようだった。
「これからも頑張ろうね、あさひちゃん!」
「もちろんだぜ! 姉貴に負けねえように、俺も努力するさ!」
ここまで言葉を交わして、二人はそれぞれの道を行く。
「じゃ、また明日!」
「おう! 必ず行くぜ!」
真っ赤な夕日が、二人の背中を照らしていた。